代々木上原駅から徒歩5分と程近いながらも閑静な住宅街に立地する低層マンション。落ち着いた代々木上原の街に相応しい重厚感のある外観です。広い敷地を利用したゆったりとして開放感のある室内でファミリーの方にお勧めです。100㎡超の住戸も有り外国人のファミリーにも丁度良い広さとなっております。大切な家族の一員であるペットの飼育も可能で、都心のマンションでは珍しく大型犬の飼育も相談可能です。代々木公園や駒場公園など大きな公園が近隣に有り、休日は公園に植裁されたたくさんの木々の緑に包まれながらワンちゃんの散歩やジョギングが楽しめます。
交通
千代田線 「代々木上原駅」 徒歩5分
千代田線 「代々木公園駅」 徒歩9分
小田急小田原線「代々木八幡駅」 徒歩9分
所在地 渋谷区上原2丁目13−12
構造 RC
階建て 3階建
築年数 2000年10月
設備・条件
ペット可 低層マンション 室内洗濯機置場 フローリング バルコニー 24時間換気システム エレベーター 照明器具付き ガスコンロ コンロ2口以上 食器洗い乾燥機 システムキッチン バス・トイレ別 温水洗浄便座 洗面台 エアコン シューズクローゼット クローゼット CSアンテナ BSアンテナ CATV 光ファイバー オートロック モニタ付インターホン 宅配ボックス 防犯カメラ ごみ出し24時間OK オーブン 冷蔵庫 洗濯機 乾燥機 駐車場 駐輪場
~代々木上原について~
代々木上原(よよぎうえはら)は、東京都渋谷区の西部にある一地区である。現在の地名でいうと、概ね上原一丁目〜三丁目の他に、元代々木町・西原一丁目〜三丁目・大山町の一部を含めた一帯を指す。歴史的には旧代々木村に所属し、その中央部から西部にかけての地域である。地形は東西方向の谷の両側を台地が挟む形で、東側に下る傾向が見られる。北に幡ヶ谷、西に世田谷区北沢、南に目黒区駒場と接するが、これらとは台地上で接し、低地との間には崖状の地形が見られ、小田急線の車窓からも見える。同線代々木上原駅のやや東方の南側に登る斜面に沿って近隣商業地や日本音楽著作権協会本部などが広がり、周辺は住宅地が多くを占める。この住宅地は、元々の高級住宅街、外国人向けの高級賃貸住宅も含む各種のものが混在気味に分布している。
~代々木上原の歴史~
1212年に代々木村の鎮守である「代々木八幡宮」が現在の元代々木と西原の間あたりに創建される。かつては初台・元代々木・西原周辺の低地は宇陀野(うだの)と呼ばれ、そこから流れる川という意味で宇田川と命名された(下流で渋谷川と合流する手前の町名が現在の渋谷区宇田川町)。戦国時代に太田道灌が現在の代々木八幡宮の場所に砦を作る。1671年(寛文11年)に代々木八幡宮が現在の場所に移る。元々、東京府(武蔵国)豊嶋郡代々木村の一部であり、北に接する幡ヶ谷村との合併(代々木上原町)、豊多摩郡、東京市、渋谷区への編入等を経て現在の形となった。江戸期から狼谷(「大上谷」の転訛、現在の西原二丁目から大山町にかけての谷で、宇田川の水源)に荼毘所が出来、現在の代々幡斎場に至る。1927年(昭和2年)の小田急小田原線開通・代々幡上原駅設置(詳細は代々木上原駅参照)までは人里少ない地域であった。なお、代々幡上原駅設置当時、代々木村と幡ヶ谷村の合併により代々幡町に属していた。その後、東京市編入の頃、西原から大山町あたりに「徳川山」という東京都内有数の高級住宅街が昭和初期に分譲される。戦前、森永製菓創業者の私邸「森永ガーデン」というものがあり、戦後はGHQの接収をへて医療少年院となり、昭和50年代にその跡地が東京国際研修センターに生まれ変わる。
※出典 Wikipedia